千早城
千早神社は、千早城本丸跡にあります。
千早城は楠木正成が築いた城で、三方を絶壁、後方を金剛山とする山城でした。
千早城の戦いでは、歴史上でも稀な籠城戦で負けなかった堅牢な要塞でした。
楠木正成はこの天然の要害を利用し、様々な奇策や奇襲戦法を用いて見事に戦い抜きました。 鎌倉幕府軍100万の兵を相手に、わずか1000の手勢で敵を翻弄し続け、ついに陥落することはありませんでした。
河内千早城図/富岡鉄斎筆/湊川神社蔵
千早城は、日本100名城(55番)に選定されています。
100名城スタンプラリーのスタンプは、金剛山 山の豆腐 にあります。
営業日/営業時間にご注意下さい。
楠木正成
楠木正成(くすのきまさしげ)は、 鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した、河内の武将。
現在、千早神社がある場所に、千早城を築いた人物です。
楠木正成像/狩野山楽筆/楠妣庵観音寺蔵
千早城の戦いでは、石や丸太、熱湯などを崖から落としたり、人形を用いて奇襲に見せかけたり、夜討ち朝駆けなど、様々な奇策を用いて籠城戦に成功しました。
軍記物語『太平記』にその活躍が詳しい。
南朝方の武将として後醍醐天皇につき、湊川の戦いで破れ、自害しました。
享年43歳。
墓碑は後に、水戸黄門として知られている徳川光圀によって建立され、神戸の湊川神社に現存しています。
楠木正成の佩刀であったと伝承される小竜景光(国宝 東京国立博物館蔵)は、後に明治天皇の佩刀となったことで知られています。
祭神と社殿
千早神社は、南北朝時代初期の元弘二年/正慶元年(1332年)、千早城が築城された際、その本丸に城の鎮守として八幡大菩薩を祀って創建されたとされています。
後に楠木正成 、楠木正行を合祀しました。
通称は『楠公さん(なんこうさん)』。
明治7年(1874年)に社殿を再建、明治12年(1879年)に祠を建て、現在の社号となりました。
明治40年(1907年)に周辺にあった吉年の金峯神社、小吹の八坂神社、千早の坂本神社、中津神社を合祀しました。